そのすべて、が


またアスラの夢を見たのだと、嬉しそうにルカが顔を綻ばせる。
へぇ、と相槌を打ってやりながら、スパーダは腹の底で煮え切らない感情を覚えていた。
出会ったばかりのころは、こんな感情はなかったというのに。

(いつからだ)
いつから、これは俺の内に在る。
考えても判然としない。
気づけば、身の内に生まれていた。
考えたところで消えるわけでもないと、最近は突き詰めるのを諦めている。

「アスラの初陣のときだったよ」

興奮気味に話すルカの頬が蒸気している。
アスラの初陣など、自分は知らない。
そのころ、まだデュランダルはアスラの手元になかった。
それはイナンナも同じこと。
自分たちの中で知っているものがあるとすれば、ヴリトラの転生者であるエルマーナだけだ。

「それでね」
「ああ」

俺は今、うまく笑えているだろうか。
スパーダは顔に張り付かせた笑みを、さりげなくルカの背後の姿見に映して確かめた。
大丈夫。笑えている。
多少の違和感も、興奮しているルカは気づかないだろう。
ルカの翠の目が、熱っぽく潤んでいる。
コーヒーのカップを手に取り、啜る。
熱いブラックコーヒーに舌が焼ける。

昼間の宿屋は、シンと静まり返っている。
夜よりもよほど静かだと言えた。
泊り客もほとんどが華やかなレグヌムの街に出ているのだろう。
スパーダとて、宿屋の一室に閉じこもっているのは趣味ではなかった。
だが、街を歩き回るには、自分やルカは顔が割れすぎている。
あんたたちはおとなしくしてなさい!とイリアに宿へと押し込められてしまった。
他の四人はギルドの依頼をこなしに出ている。

(…二人っきりになれたのは、いーんだけどな)
外で話すわけにはいかないからと、ここぞとばかりに、ルカがアスラのことを話し出しさえしなければ。
そうすれば、きっともっと、この時間を楽しめたはずだろうに。

「本当、アスラはかっこいいよね」

ほぅ、と吐息し、ルカが言う。
夢見るようにうっそりと細められた翠の目から、スパーダは目を逸らした。
不自然に思われないよう、コーヒーに目を落とす。
カップを揺らせば、コーヒーが波打った。

「…なんつーか」
「え?」
「……いや、何でもない」
「そう…?」

訝しげなルカの視線から逃れるように、またコーヒーを啜る。
湯気が目の前で白くたなびく。

(…言えるかよ)
まるで、アスラに恋してるみたいだな、なんて。

(言えるかよ…)
アスラじゃなく、俺を見ろよ、なんて。
言える、わけがない。
お前が好きだと、その一言をどう告げたらいいかわからない。
アスラという壁は、なんて高いのか。
憧れを超えるにはどうしたらいい。

「ええと…それでね?」
「ああ」

熱に潤む翠の目。
蒸気し、朱に染まった頬。
零れ落ちる輝かんばかりの笑み。
そのすべてが、自分のものだったらいいのに。
けれど、そのすべてはアスラへと向けられている。

(こいつが俺のだったらいいのに)
ルカ・ミルダという存在すべてが、自分のものだったらいいのに。
大事に大事に守り抜くから、俺のものになればいいのに。

熱いコーヒーに息を吹きかける。
カップの縁に唇を隠し、スパーダはひっそりと自嘲を浮かべた。


END