あたたかな揺らぎ


ルカは沈痛な面持ちで立ち止まった。
──ここはどこだろう。

「うう」

道に迷ってしまったらしい。右を向いても、左を向いても、覚えのある風景はない。
こういう場合は、来た道を戻るのが一番。
一人ごち、振り返る。

いつの間にやら日が落ちた街並みは、来たときとはまったく違ったものとしてルカの目に映った。
焦りながら、確かこっちから来たはず、と記憶を辿りながら戻る。
だが、どこを見ても大差のない街並みは、混乱を招くだけで。

ルカはもうダメだ、とレンガで組まれた花壇に腰を下ろした。
人に道を聞こうにも、人一人見当たらない。
ここが知らない街だということを、思い知る。

ジジ、と音がし、ふと顔を上げれば、ポツン、と立っている街灯に明かりが点いている。
夜が足音を立てて近づいてきているのだ。
完全に夜になる前に、宿屋に帰りたい。
やっぱりついてきてもらえばよかったと、ルカは顔をくしゃりと歪めた。

背中に負った大剣。その手入れをしてもらおうと武器屋を訪れたまではよかったのに。
武器の合成でなかなかいい結果が出ず、粘りに粘った結果がこれだ。
はぁ、とルカは嘆息し、項垂れた。
誰か探しに来てくれないかなぁ、なんて。

(都合よすぎるよね…)
一人で大丈夫だと言ったのは自分だ。後悔先に立たず。
これから本当にどうしよう。不安で涙が出てきそうだ。

誰か人を探そう。でも、もし、それが悪人だったら。
なお悪いことに、アスラを憎むラティオの転生者だったとしたら。
ルカはぶるりと身体を震わせた。

恐怖と不安に苛まれるルカの唇から、呻きが漏れた。
日はあっという間に沈み、かろうじて西の空を紫に染めている。
星もチカチカと瞬いている。

「……ん?」

チラリと、何かが光ったような気が、した。
小首を傾げ、目を擦り、しぱしぱと瞬く。
見間違いだろうか。
──いや。

「…なんだろう」

チラチラと揺れる光が、遠くに見えた。
炎の揺らぎに似ている。ランプ、だろうか。

「……」

ルカはふらりと立ち上がり、光の方へと足を進めた。
不思議と、恐怖が消えていた。
揺れる光は、暖かいものとしてルカを惹きつける。
暖かい、温かい、優しい光。

「あ…」

ランプを掲げ、歩いてくる人影に、ルカは目を見開き──その場でへたり込んだ。
身体が心が、安堵に満たされ、強張っていた身体から力が抜けたのだ。

「探したぞ、ミルダ。…大丈夫か?」

オレンジ色に照らされたリカルドの顔は、眉間に皺が寄せられている。
気遣うように細められた目が、ランプの灯火に負けず劣らず、優しかった。

「帰りが遅いから、心配したぞ」
「その…道に、迷っちゃったんだ」
「ああ、そんなことだろうと思ってな。迎えを兼ねて、探しにな。…それで、どうしたんだ」
「安心したら…腰、抜けちゃって」
「…なるほど」

ふ、と苦笑を零すリカルドに、ルカは顔を赤らめ、俯いた。
醜態ばかり晒しているような気がする。
恥ずかしくて、情けなくて、顔を上げられずにいれば、ス、と手が差し出された。
手袋で覆われた、大きな大人の手。

「立てるか?」

こくりと頷き、ルカはその手をそっと握った。
ぐ、と握り返され、どきりと心臓が跳ねる。
皮の手袋はひやりと冷たかったけれど、握られた手からじわりと温かな何かが身体へと染み込んでいくようで。
涙が、ほろりとルカの頬を伝った。

「そんなに不安だったのか?」

くしゃりと頭を撫でられ、ルカは堪えきれずに嗚咽を漏らす。
これでは幼い子どもみたいだと、そう思ったけれど、涙は止まらない。止まってくれない。
泣きじゃくっている間も、リカルドは黙って頭を撫で続けてくれた。

(どうしよう)
どうしよう、気づいてしまった。
不安だったのは事実で、怖かったのも事実で。
迎えに来てくれてホッとして気が緩んだのも事実だけれど。
それだけじゃないと、ルカは気づいてしまった。

(リカルド、だったからだ)
リカルドが提げたランプの、暖かな炎の揺らぎ。
その小さな灯火が、不安に凍った心を溶かしていく。
リカルドの手のぬくもりが、優しい眼差しが、心にゆっくりと染みていく。

「あ…」
「ん?」
「あり、がとう」
「……ああ」

少しだけ、照れの混じった声で、リカルドが笑う。
涙でぐしゃぐしゃの顔でリカルドを見上げ、ルカは胸を押さえた。
きゅうきゅうと胸が痛い。

(もし、これから先)
またこうして道に迷っても、リカルドが迎えに来てくれたなら。
小さな灯火とともに探しに来てくれたなら、僕はもう知らない道を恐れることはないだろう。
怯えて、立ち止まってしまうことなく、きっと歩いていける。

「帰るか。みんな、心配しているからな」
「…うん」

離すことなく、握り続けてくれるリカルドの手を握り返し。
ルカは、涙の跡が幾筋も残るまろい頬を綻ばせた。


END