満ちる


何故、こんなことになっているんだ、とリカルドはコートの中に潜り込んできた少女と、その少女に強引に連れ込まれた少年を見下ろした。

「エ、エル…!」
「寒い言うたの、ルカ兄ちゃんやん」
「そりゃ言ったけど!だからって、何で、こんな…ッ!」

両脇で交わされる会話で、リカルドは何故、エルマーマがルカを引っ張り込んだのかを理解する。
理解したが、それが何故こうなるのかまではわからない。
幹に背を預け、胡坐を掻いた足の上に広げた地図を、揉みくちゃにされないよう、持ち上げて畳む。

「やっぱり、リカルドのおっちゃんのコートん中、あったかいなぁ」
「ご、ごめんね、リカルド。すぐどくから!ほら、エルッ」
「えー、せっかくあったかいんやで?リカルドのおっちゃんかて、うちとルカ兄ちゃんとでくっついとったら、あったかいやろ?」
「暖かくはあるが…」

正直、邪魔だ。
そこまでは、リカルドは声に出さなかったが、ルカは気づいたらしく、慌てて、立ち上がろうとした。
が、コートの金具に鞘のベルトが引っ掛かり、そのまま、前のめりで倒れこんでくる。
小さな悲鳴を上げて倒れてきたルカの身体を、リカルドは抱きかかえるようにして支えた。

「あ…ゴメン…」

酷く申し訳なさそうに、ルカの声が震えている。
見れば、眉も垂れ下がり、情けない顔をしていた。
思わず、苦笑する。

「大丈夫か?」
「う、うん。ごめんね。すぐどくから…」
「あー、待って待って、兄ちゃん!うち、ええこと思いついた!」
「…あまりいい予感はしないな」
「僕も…」
「ええから、ええから」

パッと立ち上がり、にこにこ顔中に笑みを咲かせるエルマーナに、リカルドとルカは揃って胡乱げな視線を投げる。
が、エルマーナにそれに堪えた様子はない。
にまぁ、と満足そうな笑みを浮かべている。

「リカルドのおっちゃんはこう足広げてなー?」
「……ラルモ、お前、何を」
「ええから、ええから」

あまりに嬉しそうな顔をしている子どもに逆らうことも出来ず、リカルドはため息とともに、言われたとおりに膝を立て、足を広げる。
不安定な体勢も、幹に背を預けることで支えられた。
エルマーナが次に何をする気かと、黙って見守る。

「ほんでー、ルカ兄ちゃんはおっちゃんの足の間に座って」
「何するの、エル」
「ええから、ええから」
「…さっきからそればっかりだね」

はぁ、と同じようにため息を吐きながら、ルカもまたエルマーナに従った。
どうやらルカもエルマーナには逆らえないらしい。

(まあ、仕方ないのかもしれないがな)
何しろ、エルマーナの前世はヴリトラだ。
アスラに『ばあや』と呼ばれる親に等しい存在だったのだ。
相手が今は年下の少女だとわかっていても、ルカがエルマーナの世話を断りきれないでいるのは、そこに原因があるのだろう。
微笑ましいものだと思う。

「ルカ兄ちゃん、こうして見ると、ちっちゃいなぁ」
「そりゃリカルドに比べたら…」
「まあ、それはそうなんやけどね」

足の間にすっぽりと収まっているルカが情けなさそうに呻く。
苦笑し、リカルドは銀色の頭を少し乱暴な手つきで撫でた。
子どもなのだ。これからまだ伸びる可能性は高い。

(それにしても…)
辛くないのか、ミルダは。
不安定な体勢であるのに、背中を預けてこない。
遠慮しているのはわかるが、そんな必要もなかろうに。
いっそ引き寄せてしまおうか。そんなことをリカルドが考えていれば、ルカの足の間に、エルマーナがストン、と収まった。
背中をルカに押し付け、その勢いで、ルカまでもリカルドの胸へと倒れてくる。
それを、リカルドはしっかりと受け止めた。
ルカとエルマーナ。二人分の体重が掛かったところで、たいしたことはない。
顎に柔らかな銀髪が擦れる。

「おー、うちの考えどおり、これはあったかいなぁ」
「って、これじゃ、リカルドに一番、負担が掛かるじゃないか!」
「気にするな。お前たち二人ぐらい、どうってことはない」
「リカルドのおっちゃんもそう言ってるし。気にせんと、ルカ兄ちゃんはちゃーんとあったまりぃ」

な?と笑顔で小首を傾げるエルマーナに、ルカが何かを言い募ろうと口を開く──が、結局、何も言葉は出ず、がっくりと項垂れた。
小さくリカルドは笑う。
おかしなことになったものだ。

(仲間、か)
今までにも仲間はいた。
だが、所詮、傭兵家業だ。雇い主が変われば、酒を酌み交わした相手でも、次の戦場では敵ということも珍しくない。
泡沫のように消える信用を築くだけで終わる、束の間の仲間。
それが今はどうだ。
心を許しあってすらいる。
こうして、文字通り懐に入れてしまえるほどに。
守ってやりたいとそう思うほどに。

「セレーナたちが帰ってきたとき、何を言われることやら」
「羨ましがるんちゃう?」
「それはどうかなぁ…」
「少なくとも、アニーミとベルフォルマは面白がることだろうがな」
「だよね…」

クジで負け、見回りに出ている三人が帰ってきたときのことを考え、リカルドとルカは嘆息する。
けれど、エルマーナがご満悦の態で笑っているのを見ると、その気分を削ぐ気にもなれない。
首を捻って見上げてきたルカと目を合わせ、リカルドは苦笑しあった。
お互い、普段、甘えてきても少しだけの一番年下の少女が目いっぱいに甘えてくるのを、受け止めてやりたいと思っているのだ。

「地図の確認はさせてもらえるんだろうな、ラルモ」
「構わへんよ。うちが持つ?」
「僕が持つよ」

ひらりと顔の前で揺れるルカの手に地図を渡す。
簡単に折り畳んでおいたそれを、ルカがエルマーナの顔の両脇から腕を突き出す形でガサガサと広げた。
だが、地図は大きく、真ん中を持っているだけでは、上がくたりと垂れてくる。
左手を伸ばし、リカルドは地図の上を持った。右手は何かあったときに備えて、ライフルの側から離さない。
一番下を、風に靡かないよう、エルマーナが持った。
本当に、おかしなことになったものだと、リカルドは笑う。
ルカとエルマーナもまた、可笑しそうに声を上げて笑った。

「暖かいな」
「うん、暖かいね」
「あったかいなぁ」

ヒュウ、と冷たい風が木々の隙間を縫って吹いてくる。
なのに、寒くはなかった。
こんな冷たい風が吹くときは、コートの襟を立てて一人凌いでいたのに。

(…やれやれ)
地図で道程を二人にも聞かせるように口にして確かめながら、緩やかにリカルドは目を細めた。
これから突き進む道のりは、険しいものでしかないのに、心は穏やかに凪いでいる。
温かな心を持った仲間がいる。
それだけでこの先も乗り切れると思えるのが、心底意外でもあり、当然だとも思えた。
自分らしくもないのはわかっていたが、悪い気はしない。
寄りかかってくる子どもの体温は暖かく、身体だけでなく、心までもリカルドを満たした。


END