月の下、独り


カタン、と音をさせ、ルカはベッド脇の窓の鍵を開けた。
油を差した窓は、音も立てずにすんなり開く。
サァ、と穏やかな風が窓から入り込み、頬を撫でた。
心地のいい、夜の風。
澄み切った夜の匂い。
時折、どこかの犬の遠吠えが聞こえてくるだけで、真夜中の王都は静けさに満ちている。

「あ」

月、とルカは小さく呟いた。
星が瞬く真っ暗な空に、ぽかりと月が浮かんでいる。
細い細い、尖った三日月。
月は金ではなく、銀に輝いているように見えた。

「……」

窓の縁に腕を乗せ、その上に顎を押し付け、ルカはぼんやりと空を仰ぐ。
雲ひとつない、晴れた夜空。
明日の昼もまた青空が広がっているだろう。

「…もっと、空って」

近くになかっただろうか。
もっと圧倒されるくらいに、あの月は大きく、星は眩かったのではなかった。
あの旅の間、見上げた夜空にそんなことを思っていたはずなのに。
それとも、あれは、一人ではなかったからなのだろうか。

ルカは左腕に頭を傾け、右手を窓の外へと伸ばした。
ひらりひらりとはためかせる。
白い手が、ぼんやりとした月明かりの下で浮かび上がる。

「…どうしよう」

忘れられない。
右手に刻まれた体温が、忘れられない。
繋いでくれた手を覚えている。
なかなか闇に慣れずにいた自分の手を取って、一緒に見張りをしてくれていた人の手を覚えている。
リカルドの手を、覚えている。

「リカ、ルド」

舌の上で転がすように名前を呼ぶ。
返事はない。星が瞬くだけだ。

「リカルド…」

会いたい。強く思う。
チカチカ煌く星に、青い光を見つける。
身体を起こし、伸ばした手を、その星に掲げる。
きゅ、と手のひらを握りこむ。
慈しむように、ルカはその手を胸に寄せた。
──星は変わらず空に瞬いている。
ああ、これは空っぽの手だ。わかってる。わかっているけれど。

「会いたいよ、リカルド…」

ルカは唐突に理解した。
今まで気づかなかった自分が不思議なくらいだ。
幻の星の光を握り締めた右手を左手で包み込む。

「僕は、リカルドが好き、なんだ」

闇の中、見張りをするのですら、不安がる自分の隣にいてくれた、リカルドが。
獣の遠吠えに怯え、眠ることも出来ずにいた自分の側に座り、一晩中、手を握ってくれていたリカルドが。

「ああ、そうか」

ほろり、とルカのまろい頬を涙が一粒滑り落ちていく。
夜空が輝いていた理由がわかった。
月がまるで太陽そのもののように明るく、星が宝石のように煌いていたのは、リカルドが側にいてくれたからだったんだ。
リカルドが側にいてくれたから、手を握っていてくれたから。
だから、恐ろしいばかりだった闇を照らす、僅かなはずの光が温かく眩かったのだ。

「リカルド…」

ぼろぼろと溢れ出す涙に視界が滲む。
笑う猫の目のように細い月や星の光も、もはや曖昧模糊。
青い星も、涙の膜が張ったルカの目は見失ってしまった。

「会い、たいよぉ」

足を抱え、膝頭に瞼を押し付け、ルカは泣いた。
開いたままの窓から吹き込む夜風の優しさが切ない。
唇を噛み、嗚咽を耐えるルカを慰めるように、夜空を一つの星が横切った。
それは青い尾の軌跡を空に残した。



END