黎明の墓標


ここはあの方の墓だ。
シアンは黎明の塔の前に立ち、塔の頂上を見上げた。
空へと届かんとした雲を突くような巨大な塔。
それは、天に戻りたいと、天に焦がれた人の想いそのもの。その証。

サイアクだ、とシアンは舌打ちする。
あの方は天などに焦がれていなかった。
あの方が求めていたのは、地上だった。
けれど、地上はあの方のものにならなくて、ただただすべてがあの方の指から滑り落ち、奪われていくだけだった。

「…マティウス様」

ぽつりとシアンは呟いた。
ケルとベロが労わるようにペロリとそれぞれシアンの手を舐める。
大丈夫だ、と兄弟に笑む。

──そうだ、自分には兄弟がいてくれた。
友だちになろう、と手を差し伸べてくれる人もいる。
だから、ケルベロスであったころよりも、きっと今の自分は幸せなのだろうと思う。
でも、死にかけていた自分たちに、誰よりも先に手を差し伸べてくれたのは、マティウス様だった。

白い手、だった。
傷だらけの白い手だった。
手首にも、真新しい傷があった。
あの方は、自分の命すら自由に出来なかった。死ぬことも許されなかった。

「マティウス様…」

騙されていたことも、裏切られたこともわかっている。
わかっているから、離れたのだ。
自分と同じように苦しみ、創世力に救いを求めていた転生者たちを思うと、すべてを滅ぼすような真似は許せなかったから。
──それでも、シアンはマティウスを憎めない。嫌いになれない。

孤独な人だった。
だからこそ、本当は優しい人だったと、シアンは思う。
けれど、諦めてしまったのだ、あの方は。
自分を犠牲にして守ったはずの故郷まで粉々にされて、諦めてしまった。
そして、呑まれてしまった。アスラの絶望に。
世界に、絶望してしまったのだ。
希望なんてもうあの方の目には映らなかった。
誰もあの方に手を差し伸べることをしなかったから。

どうして誰もいなかったんだろう。
どうして自分のこの両手はあの方を引き止められなかったのだろう。
救われて、欲しかった。
誰でもいいから、落ちていくあの方の両手を掴んであげて欲しかった。
自分にそれが出来るだけの力があればよかったのに。
大人であったら、救えただろうか。
だけど、そんなのは、言い訳でしかないんだろう。

「…大好きです、マティウス様」

だから、せめてせめて、僕だけは。
僕だけはあなたの手を覚えていたい。
シアン、と名を呼び、頭を撫でてくれた手を。
兄弟たちを撫でてくれた手を。
それしかもう出来ないから。
覚えていることしか、あの方が見せてくれた優しさを覚えていることしか、自分にはもう出来ない。
僕たちを救ってくれたのは、確かに、あなただったんだ。

「…さよなら、マティウス様」

シアンはもう一度だけ、塔を見上げ。
きゅ、と唇を引き結ぶと、兄弟とともに、砂漠に佇む廃墟を後にした。
吹き荒んだ一陣の風が、砂埃を巻き上げ、塔を霞ませた。


END