A fever


周囲に人気がないことを確かめ、手袋を外したリカルドは、その手をルカの額に伸ばした。
きょとん、と翠の目が瞬く。

「リ、リカルド…?」
「…いつからだ」
「え?」
「いつから熱がある」
「ッ」

息を呑み、目を丸くするルカに嘆息する。
子どもは申し訳なさそうに眉をハの字に下げ、か細い声で「ごめんなさい」と呟いた。
ルカの顔が俯き、銀の前髪がさらりと額で揺れている。

「でも…たいしたことは…」
「悪化したらどうする。今は街中だからいいものの、戦場だったらどうするつもりだ」
「う…」

また、ごめん、と謝り、ますます縮こまるルカを見下ろし、リカルドは目を細めた。
額に当てていた手を滑らせ、スカーフの内側に指を滑り込ませる。
脈を探り、脈拍を数えてみれば、明らかに波打つ速度が速い。

くすぐったそうに、ルカが肩を震わせ、身じろいだ。
いつもは白いまろい頬も、今は熱で赤みを帯びている。
翠の目も、幾分潤んでいて。
──こんな姿を人に見られれば、不審者として通報されることはまず間違いない。
リカルドは肩を竦め、少しばかり乱れたスカーフを直してやった。

「あとは俺一人で調べる。お前は宿に帰って寝ていろ」
「だけど」
「ミルダ」
「……わかったよ」

強く言い聞かせるように名を呼べば、渋々といった態で少年は頷いた。
自分一人だけ休むことに罪悪感を覚えているのだろうが、そこまで思う必要はない。
実際、自分もナーオスの教会所有の図書館では、ラルモとともに寝入っていたのだ。
ベルフォルマたちも今頃、適度に息を抜いていることだろう。
真面目であることはいいことだが、この少年は、息の抜き方もそろそろ覚えた方がいい。

リカルドはくしゃりとルカの頭を撫ぜ、背を押した。
こくりと頷き、ルカが宿へと歩み出す。
そして、角を曲がろうとしたところで──花壇にふらつく足をぶつけ、前のめりになった。
倒れこむ寸前で、リカルドはルカの身体を背後から捕まえた。

「ご、ゴメン、リカルド」
「大丈夫か」
「うん…。大丈夫」

へらりと誤魔化すように笑う少年の頬は、さらに赤みを増している。
吐き出す呼気も熱を帯び、荒い。
眉を寄せ、リカルドは手袋を取ったままだった手でまたルカの額に触れた。
──熱はあがっているようだった。
ちゃんと宿まで一人で辿り着けるか、不安になる。

「…仕方ないな」
「え?」

ため息混じりに呟き、リカルドは腰を屈め、ルカに背を向けた。
戸惑い露わにたじろぐルカの靴が、砂利を踏む音がする。

「リカルド…あの、それって」
「宿まで負ぶって行ってやる。だから、さっさと乗れ」
「え、で、でも、そんなの悪いよ…」
「…ふら付いてるようなお前を一人で帰したと知れれば、セレーナたちがうるさいからな」

苦笑とともに言えば、呻き、逡巡しながらも、覚悟を決めたルカが首に手を回してきた。
ふらついたことで、熱の高さを自覚したのだろう。
背中にずしりと重みが掛かる。
腕を伸ばし、膝裏をしっかりと支えたことを確認すると、リカルドは立ち上がった。
ルカが落ちないよう、身体を少しばかり前に倒す。
愛用のライフルはルカに当たらぬように気を使いながらも、右手に掴んだままだ。

「途中、気持ち悪くなったら、すぐに言え」
「うん。…ありがとう、リカルド」

ルカの熱を孕んだ吐息が耳朶を擽ったが、リカルドは内心、ため息を一つ零すだけに留め、歩き出した。
病人相手に盛るほど、ガキではない。

(宿についたら、医者を頼んだ方がいいな)
疲労が出ただけだろうとは思うが、念には念を。
傷の痛みを訴える様子は見られないが、ハスタから受けた傷が化膿した可能性も捨てきれない。

ルカを背負い、マムートの街を行くリカルドの姿に、好奇の視線が向けられることもあったが、リカルドはそれを気にせず歩く。
ルカはルカで熱で思考が纏まらなくなってきたのか、気づいてはいないようだった。
恥ずかしがって降りると言わないことに安堵する。

宿まであと少しというところで、こてりとルカの頭が肩に落ちてきた。
ちらりと横目に窺えば、翠の目が閉じている。
どうやら眠ってしまったらしい。
やはり疲れていたのだろうな、とリカルドは苦笑し、身体を揺すり、ずり落ちたルカの身体を背負い直す。
だらりと力の抜け切ったルカの身体が重みを増す。
それでも、リカルドには苦痛ではなかったが。

(…よく寝ている)
この背に安心してくれているのだ。
自然とリカルドの唇に笑みが上る。
自分は、一度、信頼を裏切った身であるというのに。

(だからこそ、俺はもう二度と)
二度と、この子どもを裏切れない。
ルカを守ってやりたいと、リカルドはそう思う。

ルカが、ううん、と呻いた。
熱に浮かされているらしい。
足を止め、様子を窺う。

「ミルダ、大丈夫か?」
「…リカ、ルド。…どう、し…」

ギクリ、とリカルドは息を呑んだ。
つ、とルカの頬を涙が滑り落ちていく。
ライフルを握る手に力が篭り、ライフルがギシリと音を立てた。

「…大丈夫だ」

囁くようにルカに言う。
大丈夫だ、ミルダ。
俺は。

「俺は、ここにいる」

ここに。お前の側に。
荒いだルカの呼気が落ち着きを取り戻し、寄せられていた灰銀の眉もゆるりと解けた。
ホッと息を吐き、宿へとまた歩き出す。

(ミルダ、俺は)
背に腕に掛かる確かな重み。
生きている重みだ。
あのとき、助けることが出来て、本当によかった。
失っていたなら、自分は今頃、どれほどの絶望を。

「…お前が好きだ」

眠りに落ちている少年に聞こえないことはわかっていた。
それでも、それはリカルドの唇から漏れていた。
じわりと自嘲が口の端に滲む。

「さて」

気を取り直すように、リカルドは首を振り、宿の前に立った。
これから、医者を呼び、ミルダを診せ、看病し。
そして、情報集めに出ている彼らが戻ってきたときにする説明を考えておかねばなるまい。
ルカが深く寝入っている様子に小さく笑み、リカルドは宿の扉を開けた。


END