交わした約束


約束したじゃないか。
そう言って晴れやかな、けれどどこか不安そうな笑みを浮かべたルカの姿に、リカルドは切れ長の目をさらに細めた。
日の光を浴び、風に靡く白銀の髪が眩く見える。

「…久しぶりだな」
「うん、本当に。リカルド、会いに来てくれないし」
「……すまん」
「いいよ、謝らなくて。忙しいのは知ってたし」

小首を傾げ、困ったように肩を竦めるルカから目を逸らせない自分がいた。
グリゴリの里の立て直しや技術の売り込みやらでかつて生死をともにした仲間たちと最後に会ったのは、もう二年も前のことだ。
二年前、ルカは十八だった。まだ幼さの残った顔立ちをしていた。身体つきも細く、少年らしさが抜けていなかったのに。

(二年で、これか)
今年、二十歳になったルカは二年前よりも背が伸び、顔立ちも大人びたものになっている。
けれど、柔和な甘さも残っていて、優しげな風貌はルカが目指す医者に相応しいものだと、リカルドは思った。

「背が、伸びたな」
「うん。…でも、リカルドには追いつけなかったなぁ。スパーダにも負けちゃってるんだよね」

残念そうにため息を零すルカに、小さく笑う。
ルカもふふ、と軽やかに笑い、港から続く階段を登ってきた。
階段の上で、リカルドはルカを待つ。

「約束、したよね」
「…約束?」
「そう、約束。心のゆとりを一緒に育もう、って約束したじゃないか」

忘れてたでしょ。
身長差もあり、上目で睨んでくるルカに、伸びそうになった腕をどうにか意志の力で抑え込む。
──人目も気にせず、抱きしめそうになった。
今にも溢れ出しそうな愛しさが、胸に湧く。

「…忘れていたわけではないんだがな」

リカルドは内心の葛藤を綺麗に押し隠し、苦笑を浮かべて首を振った。
忘れていたわけではない。あの僅かな時間で交わした言葉も、何もかも。
忘れていたわけではない。隣に立ったルカのぬくもりも、願いに煌く瞳の色も。
だから。だからこそ、離れなくては、と。

「リカルド。僕、今日はリカルドに頼みがあって来たんだ」

唐突に話を切り替えたルカに、リカルドは訝しげに眉根を寄せた。
酷く真剣なルカの眼差しに、一体何事かと目を瞠る。
スーハー、と一二度、深呼吸をしたルカが、リカルドに向かってぐ、と身体を突き出した。

「ここで開業させて欲しいんだ!」
「……は?」
「あ、えっと、もちろん今すぐってわけじゃないんだけどね。飛び級したとはいえ、研修もあるから、早くて三年後、かな。そのくらいになるとは思うんだけど」
「…つまり、病院を開かせて欲しい、ということか?」
「うん、そうなんだ」
「ここで、か」
「うん。ほら、前に言ってたじゃない。医者がいないって」
「それは…言ったが…」

卑下するわけではないが、何故、こんな田舎で。
天術が消えてからというもの、グリゴリの里はその存在意義が変わった。
ガードルという統率者も失い、迷走するグリゴリの前に立ち、天と地が真の意味で融合した世界で生計を立てる手段を得るために、リカルドは奔走した。
戦争が終わった今、傭兵家業からも今は足を洗っている。
当時、培ったツテだけはフル活用させてもらっているが。
おかげで、テノスやガルムとの繋がりを持つことが出来ている。

それでも、グリゴリの閉鎖的な気風はそう簡単に取り除けるものではなく、移民を受け入れる体制がなかなか取れないでいる。
医者もその一つだ。
今でも、タナトスから伝わってきた呪術めいた医療に頼りがちである。
天地融合の今、効果も薄れているとわかっていてもなお、だ。

だからこそ、ルカの申し出はありがたい。
ありがたいが、ルカの将来を犠牲にしてしまうのではないかと、リカルドは危惧する。
ルカはそんなリカルドの葛藤に苦笑しただけだった。

「名医にはなりたいけど、名誉は欲しくないんだよ、僕」
「しかし…」
「何より、僕はリカルドの側にいたいんだ。…ダメ、かな?」

不安げに翠の目を揺らし、小首を傾げるルカの願いを断れる者がいるとすれば、そいつには心がないに違いない。
成長してなお、失われていないルカの無垢さに、リカルドは伸びる腕をもう止めなかった。

抑えきれない愛しさに、胸が潰れそうだった。
引き寄せ、腕の中に閉じ込める。
きつくきつく抱き締める。
柔らかな白い髪に鼻先を埋める。
肺にルカの匂いが広がった。

「…ずっと」
「うん」
「ずっとお前を抱き締めたかった」
「…うん。僕もリカルドに抱き締めて欲しかったよ」
「ミルダ。…ルカ」
「もっと呼んでよ、リカルド」
「ああ、ルカ。ルカ、ルカ」

そう、ずっと呼びたかった。触れたかった。抱き締めたかった。
だからこそ、忘れようとした。子どもの未来に自分は不必要だと、そう思っていたから。
だが、今、こうして、ルカからこの腕の中に飛び込んできてくれたのだ。
これ以上の喜びがあるだろうか。もう迷いはしない。手放すものか。

「愛している」
「僕も、リカルドが大好きだよ!」

これからは、共に旅路を。
長い長い旅路を共に。
一緒に、二人で。

リカルドはルカと唇を合わせ。
二人は喜びを分かち合うように笑いあった。


END